ツアー通算7勝を誇り、40歳を過ぎてなお進化を続けるプロゴルファー、岩田寛選手。
その独特なプレースタイルと寡黙な人柄の裏には、常に「父」の存在があります。
彼のゴルフ人生の原点であり、唯一無二の師匠でもある父・光男さんとの関係は、一般的な親子や師弟の関係とは少し異なる、特別な絆で結ばれているようです。
この記事では、岩田寛選手の詳しいプロフィールや経歴に触れながら、実家がゴルフ練習場であることや、師匠でもある岩田寛選手と父・光男さんとの深い関係性に迫ります。
ゴルフを始めた意外なきっかけから、なぜ父は試合会場に姿を見せないのか、そして岩田寛選手に妻はいるのかといったプライベートな情報まで、彼という人間を多角的に掘り下げていきます。
記事のポイント
- 岩田寛がゴルフを始めた意外なきっかけ
- 父・光男さんとの師弟関係と知られざるエピソード
- 父が試合会場に姿を見せない本当の理由
- 岩田寛の結婚観やプライベートな一面
岩田寛と父・光男さんの関係性:ゴルフへの道

- 岩田寛のプロフィールと主な経歴を紹介
- 岩田寛の実家はゴルフ練習場を経営
- 岩田寛の父・光男さんは名コーチとして有名
- 野球少年がゴルフを始めた意外なきっかけ
- 父から受けた厳しい指導とその教え
岩田寛のプロフィールと主な経歴を紹介

岩田寛選手は、宮城県仙台市出身のプロゴルファーです。
1981年1月31日生まれ、東北福祉大学を卒業後、2004年にプロ転向を果たしました。
学生時代からその才能は注目されていましたが、プロの世界では初優勝まで11年を要するなど、決して平たんな道のりではありませんでした。
しかし、一度殻を破るとその実力を開花させます。
2015年にはPGAツアーの出場権を獲得し、世界のトップ選手たちとしのぎを削りました。中でも「全米プロゴルフ選手権」で記録した「63」は、当時のメジャー大会1ラウンド最少ストロークタイ記録として、世界に衝撃を与えました。
日本ツアー復帰後もその実力は健在で、特に40歳を過ぎてから円熟味を増しています。
2021年、2023年には「中日クラウンズ」を制覇。
そして2024年には「BMW 日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ」で悲願の国内メジャー初優勝を飾るなど、ベテランの域に入ってもなお進化を続けています。
年 | 主な実績 |
---|---|
2004年 | プロ転向 |
2006年 | 初シード獲得 |
2014年 | フジサンケイクラシックでツアー初優勝 |
2015年 | 全米プロゴルフ選手権でメジャー最少ストロークタイ「63記録 |
2016年 | 米PGAツアーに本格参戦 |
2021年 | 中日クラウンズで6年ぶりの優勝(3勝目) |
2022年 | 長嶋茂雄INVITATIONAL セガサミーカップゴルフトーナメント優勝(4勝目) |
2023年 | 中日クラウンズで2度目の優勝(5勝目) |
2024年 | BMW 日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップでメジャー初優勝(6勝目) |
2024年 | カシオワールドオープンゴルフトーナメント優勝(7勝目) |
このように、数々の苦労を乗り越え、日米のツアーで確かな実績を残してきた実力派ゴルファーです。
岩田寛の実家はゴルフ練習場を経営

岩田寛選手がゴルフに触れるきっかけとなった環境は、彼の生い立ちに深く関わっています。
彼の父・光男さんは、地元・宮城県仙台市でゴルフ練習場を経営していました。
ゴルフが常に身近にある環境で育ったことは、後の彼の人生に大きな影響を与えたと考えられます。
しかし、ゴルフ練習場の息子だからといって、幼少期から英才教育を受けていたわけではありません。
中学時代までの岩田選手は、ゴルフよりも野球に熱中する野球少年でした。
さらに、当時はスケートボードにも夢中になっており、高校進学後にはプロのスケートボーダーを目指すつもりだったというほどです。
つまり、ゴルフ一家に生まれながらも、彼自身が自発的にゴルフの道を選んだわけではなかったのです。
この事実は、彼のゴルフ人生の始まりが、いかにユニークであったかを物語っています。
実家のゴルフ練習場は、彼にとってゴルフへの扉ではありましたが、その扉を自ら開けるまでには、もう少し時間が必要でした。
岩田寛の父・光男さんは名コーチとして有名

岩田寛選手の父・光男さんは、単にゴルフ練習場を経営する人物ではありません。
彼自身が「日本アママッチプレー」で優勝経験を持つトップアマチュアであり、現在はシニアツアーの認定プロでもある、優れたゴルファーです。
その実績以上に、光男さんは指導者、名コーチとしてゴルフ界で広く知られています。
特に有名なのが、プロゴルファーの星野英正選手を小学生時代から指導し、トッププロへと育て上げたことです。
また、多くの名選手を輩出している東北福祉大学ゴルフ部の礎を築いた人物の一人とも言われ、その指導力には定評があります。
息子の寛選手にとっても、父・光男さんはゴルフを始めるきっかけを与え、プロの世界へと導いた唯一無二の「師匠」です。
日本トップクラスの指導者が常にそばにいるという環境は、岩田選手にとって非常に恵まれたものであったに違いありません。
しかし、その関係は単なる「名コーチと教え子」という言葉だけでは片付けられない、複雑で深いものでした。
野球少年がゴルフを始めた意外なきっかけ

前述の通り、中学時代の岩田寛選手は野球とスケートボードに明け暮れる日々を送っていました。
彼がゴルフの世界に足を踏み入れることになったきっかけは、非常に意外なものでした。
中学3年で野球部を引退した岩田選手は、高校では野球を続けないと父・光男さんに宣言します。
当時、彼の情熱はスケートボードに向いており、プロを目指すことさえ考えていました。
光男さんから「野球をやめて何をするんだ?まさかスケボーじゃないだろうな?」と問いただされた際、その厳しい追求から逃れるため、とっさに口をついて出た言葉が「ゴルフ」でした。
父からの叱責を恐れて思わず発した一言が、彼のその後の人生を決定づけたのです。
きっかけがきっかけなだけに、ゴルフを始めた当初は、本人も「嫌々だった」と語っています。
しかし、東北福祉大学4年の冬に研修生としてゴルフ場に入り、本格的に練習に打ち込むようになってから、ゴルフの本当の面白さに目覚めていきました。
日に日に上達する実感に楽しさを見出し、いつしか本気でプロを目指すようになっていたのです。
父から受けた厳しい指導とその教え

岩田寛選手の師匠である父・光男さんの指導は、技術的な側面以上に、ゴルファーとしての心構えや精神性を重視するものでした。
アマチュア時代、寛選手が試合中にふてくされた態度を取ったりすると、光男さんは技術的なミス以上に厳しく叱ったといいます。
このエピソードから、光男さんが息子に求めていたのは、スコアの良し悪し以前に、一人のゴルファーとして常に真摯にプレーに臨む姿勢であったことがうかがえます。
また、光男さんの教えの中で最も有名なのが「試合中は感情や表情を表に出すな」というものです。
これが、現在の岩田選手のポーカーフェイスなプレースタイルの原点になっていると考えられます。
周囲からは「もっと笑え」「ガッツポーズをしろ」と言われることもあるようですが、彼は「しないけど」とマイペースを貫いています。
これは、幼い頃に父から受けた教えを、今も愚直に守り続けている証なのかもしれません。
この厳しい教えが、幾多のプレッシャーがかかる場面で彼の冷静さを保つ支えとなっているのです。
岩田寛を支える父以外の存在とプライベート

- 父が試合会場に来ないのはなぜ?
- 江連忠と松山英樹から受けた大きな影響
- 岩田寛に妻はいる?結婚観について
- 感情を出さないのは父の教えが影響か
- 父との縁を感じる和合コースでの優勝
- 岩田寛と父・光男さんの絆この記事の総まとめ
父が試合会場に来ないのはなぜ?

岩田寛選手の父・光男さんは名コーチとして知られていますが、実は2004年のプロ入り以来、息子の試合会場に足を運んだことが一度もないといいます。
これには、親子ならではの深い理由が存在します。
岩田選手自身がその理由を「父親が来ると、プレーが適当になってしまうから」と語っています。
父親が見ていると思うと、どこか照れくさい気持ちが生まれ、目の前の一打に100%集中できなくなってしまうようです。
一方、父・光男さんもそのことを敏感に察していました。
息子が自分の存在を意識することで、かえってプレーが雑になることに気づき、ある年の「東北アマ」を最後に、観戦に訪れるのをやめたのです。
これは、決して親子仲が悪いわけではなく、息子が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、あえて距離を置くという父なりの愛情表現と言えます。
会場にはいなくても、光男さんはインターネットで息子のスコアを常にチェックしているそうです。
直接顔を合わせず、言葉も交わさずとも、互いのことを深く理解し、信頼し合っている。
この絶妙な距離感が、岩田親子の独特な絆の形なのかもしれません。
江連忠と松山英樹から受けた大きな影響

岩田寛選手のゴルフ人生において、父・光男さんは最も大きな存在ですが、彼の成長に影響を与えた人物は他にもいます。
特に、コーチの江連忠氏と、大学の後輩である松山英樹選手との出会いは、彼のゴルフを次のステージへと押し上げる大きなきっかけとなりました。
コーチ・江連忠との出会い
大学の先輩である星野英正選手の紹介で、当時多くのトッププロを指導していた江連忠氏に師事します。
約3年間にわたり、大胆なスイング改造に取り組みました。
当時はその理論を完全に消化しきれず、結果的に離れることになりましたが、この出会いによってゴルフの歴史や理論をより深く知ることになり、ゴルフへの探求心が一層増したといいます。
後輩・松山英樹の衝撃
2012年、タイで行われた全英オープンの予選会で、当時まだアマチュアだった松山英樹選手と練習ラウンドを共にしました。
その時のことについて岩田選手は「ヘッドの入りがすごくて、衝撃を受けました。このままじゃダメだと思った」と振り返っています。
後輩の圧倒的な才能を目の当たりにし、強烈な危機感を抱いたことが、彼の進化の大きな原動力となったのです。
岩田寛に妻はいる?結婚観について

独特の雰囲気と、時折見せるシャイな一面で多くのファンを魅了する岩田寛選手ですが、そのプライベート、特に結婚についてはあまり知られていません。
2025年6月現在、岩田寛選手は独身です。
過去のインタビューでは、「孫の顔を親に見せたい」と結婚願望があることを明かしています。
また、Amazon Prime Videoで配信されている恋愛リアリティー番組「バチェラー」のファンであることを公言し、「自分も独身なんで、自分に置き換えたりする」と語ったこともありました。
最近のラウンドでは、新婚の香妻陣一朗選手や子供が生まれたばかりの木下稜介選手と一緒になり、「『寛さん結婚しないのですか?』って聞いてきた。その会話に俺を入れんなと言いました…」と、岩田節で周囲を笑わせる一幕もあったようです。
これらのエピソードから、結婚に対して興味や願望はありながらも、マイペースに自身の人生を歩んでいる様子がうかがえます。
公の場ではあまりプライベートを語らない彼ですが、垣間見える人間らしい一面もまた、彼の魅力の一つです。
感情を出さないのは父の教えが影響か

前述の通り、岩田寛選手のポーカーフェイスなプレースタイルは、父・光男さんからの「感情を表に出すな」という教えが大きく影響していると考えられます。
どんなに良いプレーをしても、大きなミスをしても、彼は表情をほとんど変えません。
このスタイルについて、本人は「笑えとかガッツポーズをしろとか言われる。しないけど。笑顔やガッツポーズは自然に出るものだと思っているが、僕は出ない」と語っています。
これは、父の教えを愚直に守っているという側面と、彼自身のシャイな性格が相まって形成された、唯一無二のスタイルなのでしょう。
しかし、そんな彼もごく稀に感情を爆発させることがあります。
2023年の中日クラウンズで優勝した際には、珍しく両手でガッツポーズを作りました。
そのことについて後で聞かれると、「“しなきゃな”って感じでした。でも、(映像で確認したら)ダサかったですね…」と、照れくさそうにコメントしています。
感情を内に秘め、淡々とプレーを続ける姿は、彼の強さの象徴です。しかし、時折見せる人間味あふれるギャップが、多くのゴルフファンを惹きつけてやみません。
父との縁を感じる和合コースでの優勝

数あるトーナメントの中でも、愛知県の名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースで開催される「中日クラウンズ」は、岩田寛選手と父・光男さんにとって、特に縁の深い大会です。
岩田選手はインタビューで「父のゴルフデビューが和合で縁があるなと思った」と語っています。
自身のゴルフの原点である父が、初めて真剣勝負に挑んだ場所。
その特別なコースで、息子である自分がプレーすることに、深い感慨を抱いていたようです。
その思いが力になったのか、岩田選手は2021年と2023年に、この中日クラウンズで2度の優勝を果たしています。
特に2021年の優勝は劇的でした。最終日、彼がプロになってからずっと苦しめられてきた因縁の14番ホールでバーディーを奪い、単独首位に立って勝利を掴んだのです。
父との縁を感じる舞台で、過去のトラウマを乗り越えて掴んだ栄光は、彼にとって何物にも代えがたいものだったでしょう。
父から直接指導を受けることはなくなっても、その存在は常に岩田選手の心の中にあり、大きな力となっていることがわかるエピソードです。
岩田寛と父・光男さんの絆この記事の総まとめ
この記事では、プロゴルファー岩田寛選手と、彼のゴルフ人生の師である父・光男さんとの関係性について掘り下げてきました。
最後に、そのポイントをまとめます。
- 岩田寛のゴルフの師匠は父・光男さん
- 父は「日本アママッチプレー」優勝経験のある名コーチ
- 実家は仙台市内でゴルフ練習場を経営していた
- ゴルフを始めたきっかけは父へのとっさの一言
- 当初は野球とスケートボードに夢中だった
- 父の教えは技術よりも精神面を重視
- 「感情を表に出すな」という教えは今のスタイルに繋がる
- 父は息子のプレーを案じ試合会場には行かない
- これは親子間の深い信頼関係の表れ
- 江連忠コーチと松山英樹からも大きな影響を受けた
- 現在は独身だが結婚願Peg望も口にしている
- 和合コースは父との縁を感じる特別な場所
- 40歳を過ぎても進化を続けメジャー初制覇を達成
- 父との独特な師弟関係が岩田寛の強さを支えている
- 今後のさらなる活躍が期待される
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