世界のトップで戦い続けるプロゴルファー、松山英樹選手。
マスターズ制覇やPGAツアーアジア人最多勝など、その輝かしい功績の裏には、彼を支え続けた家族の存在があります。
特に、ゴルフの手ほどきをした父親は、彼のゴルフ人生において最も重要な人物と言えるでしょう。
多くの人が「松山英樹の父親の職業は何だろう?」と関心を寄せています。
この記事では、松山英樹選手の詳しい経歴やプロフィール、そして気になる国籍はどこかといった基本情報はもちろん、彼のゴルフの原点である父親との関係や、母親の存在、松山英樹の父がゴルフ場を経営していたという噂の真相に迫ります。
さらに、彼のプライベートを支える妻や子供が何人いるかといった家族構成についても解説します。
この記事を読めば、松山選手を世界的プレーヤーへと押し上げた、家族の献身的なサポートの全貌がわかります。
記事のポイント
- 松山英樹の父親の職業とゴルフへの関わり
- 松山家のルーツと母親を含めた家族構成
- 自宅を練習場に変えた父親の献身的なサポート
- 松山英樹の妻や子供などプライベートな一面
松山英樹の父親の職業とは?ゴルフへの影響とルーツ

- 松山英樹の経歴とプロフィールを紹介
- 松山英樹の国籍はどこ?
- 松山英樹の父親の職業はサラリーマンだった
- 松山英樹の父はゴルフ場を経営していた?
- 松山英樹の母親はどんな人?
- 松山家のルーツは長崎県諫早市にあった
松山英樹の経歴とプロフィールを紹介

松山英樹選手は、日本が世界に誇るプロゴルファーの一人です。
まずは、その輝かしい経歴とプロフィールを見ていきましょう。
項目 | 内容 |
---|---|
生年月日 | 1992年2月25日 |
出身地 | 愛媛県松山市 |
身長/体重 | 181cm / 90kg |
血液型 | B型 |
出身校 | 東北福祉大学 |
プロ転向 | 2013年 |
所属 | レクサス |
アマチュア時代からその才能は突出していました。
2010年にアジアアマチュア選手権で優勝し、翌2011年のマスターズ・トーナメントで日本人初のローアマチュア(アマチュア選手中の最高位)を獲得。
同年には「三井住友VISA太平洋マスターズ」で、史上3人目となるアマチュアでのツアー優勝を果たします。
2013年にプロ転向すると、その年に4勝を挙げて史上初のルーキー賞金王に輝きました。
2014年からは米国PGAツアーを主戦場とし、これまでにアジア人最多となる11勝を記録しています。
そして2021年、ついに日本人男子として初めて「マスターズ・トーナメント」を制覇し、ゴルフ界の歴史にその名を刻みました。
さらに2024年のパリオリンピックでは、日本男子ゴルフ史上初となる銅メダルを獲得するなど、今なお世界のトップで活躍を続けています。
松山英樹の国籍はどこ?

松山英樹選手は世界的なプレーヤーであるため、その国籍について気になる方もいるかもしれません。
松山英樹選手の国籍は、日本です。
彼は愛媛県松山市で生まれ育ち、中学からはゴルフの名門である高知県の明徳義塾中学校・高等学校へ、大学は宮城県の東北福祉大学へと進学しています。
経歴を見ても、彼のゴルファーとしての基盤は日本で築かれたことがわかります。
現在、彼は米国PGAツアーを主戦場としていますが、常に日本を代表する選手としてプレーしており、オリンピックなどの国際大会にも日本代表として出場しています。
松山英樹の父親の職業はサラリーマンだった
松山英樹選手のゴルフ人生に最も大きな影響を与えた父・幹男さん。
その職業は、特定の専門職や経営者というわけではなく、いわゆる「サラリーマン」でした。
しかし、幹男さんはただのサラリーマンではありません。
自身も日本アマチュアゴルフ選手権に出場経験のあるトップクラスのアマチュアゴルファーでした。
仕事の傍らゴルフに情熱を注ぎ、独学でアンダーパーを出すほどの腕前だったといいます。
息子の英樹選手がゴルフに興味を持つと、幹男さんはその情熱をすべて息子に注ぎ込むようになります。
サラリーマンとして働きながら、息子の練習に付き合い、指導し、ときにはクラブを自作するなど、献身的なサポートを続けました。
幹男さんの職業はサラリーマンでしたが、そのゴルフへの知識と情熱は、プロのコーチにも引けを取らないものだったと言えるでしょう。
松山英樹の父はゴルフ場を経営していた?

松山英樹選手の父親について、「ゴルフ場を経営している」という話を聞いたことがある方もいるかもしれません。
この情報についてですが、父親の幹男さん自身がゴルフ場を経営していたという事実はありません。
前述の通り、幹男さんの職業はサラリーマンでした。
ただし、この噂には元になった情報があるようです。それは、愛媛県松山市にある「ヒデキゴルフガーデン」というゴルフ練習場の存在です。
この練習場は、松山選手の活躍を機に、実父である幹男さんが経営を始めたとされています。
つまり、「以前からゴルフ場を経営していた」のではなく、「息子の活躍後に、その名前を冠した練習場の経営者になった」というのが正確な情報のようです。
この点が、噂として広まる過程で少し形を変えて伝わったものと考えられます。
松山英樹の母親はどんな人?

松山英樹選手の強さを語る上で、父親の幹男さんの存在は欠かせませんが、母親の存在もまた、彼の成長にとって大きなものでした。
松山選手の母親は元々バレーボールをしていた経験があり、松山家はスポーツ一家だったようです。
幼い頃の英樹選手は、お姉さんや妹さんと一緒にバレーボールのトス回しをして遊ぶこともあったといいます。
父親がゴルフに情熱を注ぐ一方で、母親は家庭の中から、スポーツに親しむ和やかな環境を作り出していたのかもしれません。
特定のスポーツに偏らず、様々な運動に触れる機会があったことが、松山選手の優れた運動神経やバランス感覚の土台を育んだ可能性も考えられます。
メディアに登場することはほとんどありませんが、母親の温かいサポートが、厳しい勝負の世界で戦う息子を静かに支えていたことは想像に難くありません。
松山家のルーツは長崎県諫早市にあった

松山英樹選手は愛媛県生まれですが、その家系のルーツを辿ると、長崎県諫早市に行き着きます。
彼の父方の祖父にあたる長市さんが、戦後間もない頃に諫早市で石材店を創業しました。
松山選手の父・幹男さんも、愛媛に引っ越す前はそこで働いていたそうです。
現在も、いとこの功一さんが3代目として家業を継いでおり、諫早市の実家は松山家にとっての「本家」にあたります。
松山選手自身も幼少期からよく諫早市に里帰りしており、家族との絆は非常に深いようです。
2021年末には、がん闘病中だった伯父(功一さんの父・博さん)を見舞うため、多忙な合間を縫って帰国後すぐに諫早市を訪れました。
その際、マスターズで獲得したグリーンジャケットを伯父に着せて元気づけたという心温まるエピソードも残っています。
このことからも、彼が家族やルーツを非常に大切にしていることがうかがえます。
松山英樹の父親の職業以外のサポートと家族

- 自宅を練習場に改造した父親のサポート
- 松山英樹の妻は大学の後輩
- 松山英樹の子供は何人いる?
- 妻と子供が支えるPGAツアーでの戦い
- まとめ:松山英樹の父親の職業と家族の支え
自宅を練習場に改造した父親のサポート

松山英樹選手の父親・幹男さんのサポートは、単なる精神的な応援にとどまりませんでした。
息子がゴルフに集中できる最高の環境を整えるため、驚くような行動力で献身的なサポートをしています。
その最も象徴的な例が、「自宅の練習場化」です。
松山家では、自宅の6畳の部屋にマットを敷き詰めて素振りやパッティングができるようにし、廊下はアプローチ練習の場となっていました。
さらに、乗用車1台分の駐車場にはネットを張り、実際にボールを打てるショット練習場に改造してしまったのです。
また、幹男さんは息子のためにクラブのカスタマイズも自ら行っていました。
大人用のアイアンシャフトを切断して子供用のクラブを作ったり、グリップを交換したりと、まさにプライベートなクラブ職人のようでした。
息子がゴルフに打ち込む姿を見て、自分にできることは何でもしようという深い愛情が感じられるエピソードです。
この幼少期の経験が、現在の松山選手がクラブに強いこだわりを持つことにも繋がっているのかもしれません。
松山英樹の妻は大学の後輩

松山英樹選手は、2017年1月に結婚したことを発表しています。
彼の人生のパートナーとなったのは、一般の女性です。
お相手の芽緯(めい)さんは、松山選手が通っていた東北福祉大学ゴルフ部の2年後輩にあたります。
実は、二人の出会いはさらに古く、ゴルフの名門・明徳義塾中・高等学校時代にさかのぼります。
当時から二人は交際していたようで、芽緯さんは高校3年生の進路相談の際には、迷わず松山選手と同じ東北福祉大学への進学を決めたといいます。
芽緯さん自身もゴルフ選手として活躍し、高校時代には四国代表になった実力の持ち主です。
大学卒業後は、大学職員として女子ゴルフ部のコーチも務めていました。
しかし、最終的には自らのキャリアよりも、夫である松山選手を支える道を選びました。
ゴルファーの大変さを誰よりも理解している彼女は、松山選手にとって最高の理解者であり、心強いパートナーであることは間違いないでしょう。
松山英樹の子供は何人いる?

松山英樹選手は、2017年1月の結婚発表と同時に、同年7月に第一子が誕生したことも報告しています。
現在、公表されている情報では、松山選手のお子さんはこの時に生まれた女の子一人です。
名前は「叶夏(かんな)」ちゃんだと言われています。
松山選手は家族のプライバシーを非常に大切にしており、メディアなどで子供について詳しく語ることはほとんどありません。
これは、世界のトップで戦う有名選手である夫や父を持つ家族を、過度な注目から守りたいという配慮からでしょう。
仙台の行きつけのお店に、生まれたばかりの娘さんを連れて顔を見せに行ったという微笑ましいエピソードも伝わっていますが、あくまでプライベートな領域を大切にしているようです。
妻と子供が支えるPGAツアーでの戦い

世界中を転戦する過酷なPGAツアーでの戦いを続ける松山英樹選手にとって、日本で暮らす妻と子供の存在は、計り知れないほどの精神的な支えとなっています。
彼は基本的に、試合会場に家族を帯同させることはありません。
これは、勝負の世界に集中するために、家庭とゴルフをしっかりと分けたいという彼のプロフェッショナルな姿勢の表れです。
しかし、その絆の深さがうかがえるエピソードがあります。
2021年のマスターズ優勝時、彼は「(妻は)僕以上に大変な思いをしている。アメリカに来てサポートしてくれるはずだったが、コロナで来られなくなった。日本でサポートしてくれる方に感謝したい」と語りました。
会えない時間も、家族の存在が常に彼の心の中にあり、大きな力になっていることが伝わってきます。
大切な家族が日本で待っているからこそ、彼は孤独な海外ツアーで戦い抜くことができるのです。
プロゴルファーとしての顔とは違う、「普通のパパ」に戻れる時間が、彼の活力の源泉となっているのでしょう。
松山英樹の父親の職業と家族の支え この記事のまとめ
この記事では、世界のトップで戦う松山英樹選手と、彼のゴルフ人生の原点である父親の職業や、家族との関係性について詳しく解説しました。
最後に、そのポイントをまとめます。
- 松山英樹の父・幹男さんの職業はサラリーマン
- 父は日本アマ出場経験もあるトップアマゴルファー
- 父自身が直接ゴルフ場を経営していたわけではない
- 母親はバレーボール経験者でスポーツ一家だった
- 松山家のルーツは長崎県諫早市の石材店
- 4歳の時に父の影響でゴルフを始める
- 父は自宅を練習場に改造し息子を献身的にサポート
- 2013年にプロ転向し史上初のルーキー賞金王となる
- PGAツアーでアジア人最多の11勝を記録(2025年1月時点)
- 2021年にマスターズ・トーナメントで歴史的優勝を達成
- 2024年パリオリンピックで日本男子初の銅メダルを獲得
- 妻は東北福祉大学ゴルフ部の後輩である芽緯さん
- 2017年に第一子となる長女が誕生している
- 父親、妻、子供という家族の支えが彼の強さの源泉
- 彼の偉大な功績は家族の献身的なサポートがあってこそ
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